2012年06月28日
アップセット・レディース
昨日、感動的な試合を見た。名勝負はいつも決勝ばかりとは限らない。グランドスラム大会なら1回戦でも十分に起こりえるのだ。直前の「エイゴン国際」で優勝したパスゼックが、ウォズニアッキにアップセットしたのだ。こう聞くと、ウォズニアッキの調子が悪かったように思うかも知れないが、決してそうではない。先週に初戦負けしたおかげで、やる気もコンディションも十分だった筈だ。ここ2年はナンバー1だった彼女が、よもや2週続けて1回戦で負けるとは夢にも思わなかった。全仏での「アザレンカ対シブルコワ」戦もそうだが、なぜこうも女子のアップセット試合にばかり感動するのか自分なりに考えた。女性の方が男性よりも勝負への執着心が強いのもあるが、それまであまり認められずにいた選手が、自分よりも強いとされる選手を倒す事でそのアイデンティティが(驚きを持って)多くの人に見出されるから、が理由だと思う。勝負事にドライな欧米では勝者には寛容だが、敗者には厳しい。どんなに善戦しても最後に負けたのでは評価は変わらない。テレビ中継の解説者を始めとする関係者はもとより、そのスタジアム中の観客や、テレビ観戦している億単位の人が、多分シード選手が勝つだろうという前提で試合を見ている。つまり完全アウェー視の中で自分が勝つのを信じているのはその選手1人だけだ。時にはその自分自身さえも「今日はムリだ。諦めろ。」と思う瞬間があるだろう。そんな状況で勝つ事がいかに大変かは想像できる。
雨で屋根を閉めたせいで、やたらボールをヒットする音が響くセンターコートでの第1セットが70分、第2セットは77分、第3セットは45分かかった壮絶な試合にパスゼックは勝った。あのウォズニアッキと徹底的に打ち合って最後にはKOしたのだ。1セット目を逆転で取り、2セット目にはマッチポイントまで在りながら負けたウォズ二アッキには相当なダメージだったろう。でも、こんな素晴らしい試合をまた見てみたい。(ひねくれた見方しかできないが)テニスファンで本当に良かったと思う。
お気に入りの選手以外の試合もたまには見たほうがいい。貴方のつまらない先入観を覆すビッグサプライズが待っている。
2012年06月26日
幸せと不幸の間で
ウインブルドンが開幕した。まだ1日目なのに優勝経験者のビーナスやベルディヒ、ヤンコビッチらが消えるのを見ると、つくづく層が厚いスポーツだと感じさせられる。これから約2週間はいつもより少しだけ幸せな日々が続くわけだが、本来なら他の3大会もこうするべきなのだ。お金や自分達のエゴといった下らない理由でテニスを見限ってしまった(バカな)日本のテレビの弊害で、たくさんの人がテニスの面白さを知らないで過ごしている。(私個人の意見だが)オリンピックからも外されるような、時代遅れのマイナー球技は要らない。そんな素材を買う余裕があるなら、4大大会の準決勝と決勝ぐらいはタダでライブ放送できるだろう。
さて今回は、この国のテレビのスポーツ中継の仕方を見てみよう。これはどんなスポーツ中継にもよく見られるお決まりのパターンで、日本のテレビが何を見せたいかが端的に分かる。(それでも一応分かりやすくするのに、順番とテニスにおける取り上げ方を着けておく。)
1、まず彼らが1番に求めるのは日本人選手の活躍だ。まあ、これは日本以外の国でも同じなので無理もない。(錦織がウインブルドンで優勝してくれれば最高だろう。)2、日本勢が消えると次は本命の優勝候補に話題が移る。(ナンバー1のジョコビッチやナダル、フェデラーなどだ。)3、アップセット続きで2も仮に消えたとすると、後は(優勝経験のあるシード勢、ついで優勝経験のないシード勢)が候補に挙がる。4、それもいなくなると、無理やり(期待の若手、頑張るベテラン勢)で話題をつなぎ、5、最後は自分達にとって最悪の言い回し(本命なき大混戦)に至る。これが一連のパターンだ。優勝争いがメインなのは仕方ないが、勝ち負けの結果を伝えるだけではダメで、常に選手のインタビューを入れて内容を濃くしたりする工夫がまだまだ足りない。また個人的には、5が日本のテレビがマトモなスポーツ中継ができる状態だと思う。彼らの過剰な思い入れの対象が無くなった時にようやく安心して見られるのだ。
今の日本でもし、ESPNやユーロスポーツが(現地と同じ内容で)見られたなら、もっとテニスの楽しさが分かってもらえる筈なのに、そうでないのが大変残念だ。4大大会を(タダで)テレビ放送するのが、たいへん有意義で幸せな事だと何故分からないのだろう。アニメの「エースをねらえ」で藤堂さんも言っていた「テニスは素晴らしい。テニスを辞めるなよ。」は真実なのだ。そして日本のテレビに1番欠けているのは、「LOVE TENNIS」そのものだ。
2012年06月24日
アイ・ルッキン・フォー・ア・テニス(・マッチ)
明日の朝6時頃にちょっとしたイベントがある。ユーロ2012の最後のQF「イングランド対イタリア」の試合がもし延長戦になった場合にTBSがどうするかだ。今までの対応だと、1、非難覚悟で途中打ち切り(前例がCLで2度ある)2、サッカーファンを尊重して当然のごとく中継延長、しか無かったのだが、ここで第3の選択が登場する。それは、3、(仕方なくだが)民放キー局初のマルチ放送実施、である。もちろん個人的には3になって欲しい。もう民放キー局が幾らイヤだと言っても、時代の流れには逆らえないのだ。NHKがあれだけバンバンやっているのに、民放だけ出来ません、じゃあまりに勝手すぎる。CMは言い訳なのも、面倒くさいのも分かっているが、始めなければ何も変化しない。前例が無ければ作ればいい。必要なのはやる気だけだ。
昨日、月刊のテレビガイド誌を買った。そこで7月の番組表をチェックすると、オリンピックの予定が少しだが載っていた。ただ、いつもの如く見られる競技はほぼ決まっている。テニスの文字を探したら、30日のBSに1コだけあったが時間帯を考えると放送があっても録画だろう。地元のマレーはもちろん、錦織ほかの日本勢に多分、フェデラーやジョコビッチなども出場するとなれば、初日の第1試合から見たくなる。普通に考えてもテニスファンが見たいのはテニスで、ハンドボールファンが見たいのはハンドボールのはずだ。それが見られないのは、テレビ側が見せたい競技では無いからで、テニスファンやハンドボールファンからすれば本当に迷惑な話だ。何回も書いているが、見たいプログラムを決めるのは視聴者であって、テレビ側ではないのだ。自分達の傲慢さが分かっていないにも程がある。
最近ツアーで優勝したトミー・ハースが、シドニー五輪銀メダリストなのはご存知だろうか。長い5セットマッチで優勝したのはカフェルニコフだったが、その決勝以来ここ2大会はライブ中継すら無かった。テニスがマイナー球技だとは全く思っていないだけに、こんな扱いにはいつもがっかりする。今回の五輪ではネット配信も予定されているらしいが、(本音を言えば)いつものウインブルドン中継のように、夜9時頃からテレビでライブ中継を見てみたいものだ。あるいは、いっそどこかでテニス競技だけのクローズドサーキットでもやれば、きっと大ウケするに違いない。
2012年06月23日
名勝負の裏側
(1度引退する前の)伊達公子のベストマッチは、と聞かれて恐らく大半の人の答えは、96年に有明で行われたフェド杯での対グラフ戦だろう。3時間25分の激闘の末に、当時ナンバー1のグラフに初めて勝った試合で、ファンや関係者、そして伊達自身もそれを認めている。ただ、「私が考える名勝負の定義」に当てはめるとどうもそうではないらしい。では、その定義は何かというと、1、お互いのプレイヤーがその試合にどうしても勝ちたいと思い(モチベーションのレベルの高さ)2、その持ち味を十分に発揮した上で勝負が決まる事(パフォーマンス自体のレベルの高さ)である。伊達対グラフ戦で2は、その試合内容を見ればもちろんクリアしているのだが、問題は1の方だ。具体的に言えば、なぜグラフが日本に来たか、だろう。NHKの(ラジオの)ニュースでグラフがこのフェド杯に参加すると聞いた時、すぐにこれはおかしいと思った。普通は若手中心のメンバーで構成されるフェド杯に、(ベテランで)ナンバー1のグラフがわざわざ召集されるはずはない。よっぽどシングルスの有力選手がいなければ話は別だが、ドイツではナンバー2の実力者アンケ・フーバーもいたし、このグラフの急遽参戦に1番驚いたのは(多分)日本側ではなく、同じドイツチームのメンバーだったに違いない。もう1つ気になったのは、グラフが95年と96年の全豪をスキップ(欠場)した事情で、その2年は東レPPOにも来なかった事だ。もうここまでくれば分かると思うが、グラフが日本に来た理由は、国同士が威信を賭けた戦いだったからではなく、単なる顔見せだったと個人的には思っている。ナンバー1プレイヤーがさすがに2年もほったらかしではまずいと思ったのだろう。だから4月に日本でフェド杯があると聞いて、あわてて参加する気になったのだ。普通の大会なら1週間は滞在する所だが、幸いフェド杯なら2日で終わる。まさに「渡りに船」の心境だったはずだ。あれだけ死力を尽くした伊達とのロングマッチを終えた後に(正式なダブルスのペアがいるのにも関わらず)フーバーとの急造ペアで最後のダブルスの試合にも出たグラフには、もうフェド杯の勝ち負けはどうでもよかったのだ。ただ、自分がアピール出来ればいい、グラフなりの2年分のサービスのつもりだったかも知れない。
まあ、これも「ナダルはカウンターテニス説」を唱える私だけの仮説の一つだ。信じる、信じないは貴方次第にしておこう。
最後にマイベストを挙げれば、「トーシバ・テニス・クラシック」で優勝した試合である。初対戦で勝って以来、ずっと連敗していたサンチェス相手にスマートなテニスで勝利した伊達の最高の瞬間だったと思う。そして、クルム伊達のベストマッチは果たしてどの試合になるのだろう。
2012年06月22日
ウインブルドンとスイカと雨
今年初めてのスイカを買った。ウインブルドンで連想するのは普通イチゴだろ、とツッコミが入りそうだが我が家ではスイカである。スイカが近所のスーパーで出回る頃に始まるのが「全英オープン」じゃなくて「ウインブルドン」なのだ。今年のテニスシーンのハイライトといっていい。ここを制した者がキングであり、クイーンになる。暑い日にスイカやそうめんを食べるのと同じくらい、ウインブルドンを見るのは当たり前のシーズン行事だ。残念ながらテニス後進国になってしまったこの国でも一応その事は忘れていないらしい。
「雨に濡れながらーたたずーむ人が居るー」そんな懐メロが思い出される以前のウインブルドンのイメージは、雨で中断ばかりで見ていて疲れる、だったのがようやく屋根が付いたおかげでそれは無くなった。最初の週さえうまく乗り切ればそれほど影響はないだろうが、試合が中断する度にやきもきさせられる選手と私達、そして中継しているBBCやその素材をもらっているWOWOWやNHKにも「恵みの屋根」だろう。お金と手間暇がかかる事には誰もが消極的になるらしいが、それも1度付けてしまえば皆がハッピーなのだから「全仏」や「全米」も先延ばしせずに早く取り掛かればいいのに、関係者の口は以外な程重い。せめてこれからつくるテニス用の施設は、全天候型を義務づけた方がいい。「ただいま雨により試合が中断しております。」こんな表示を4大大会では見ない日が来ますように。 ああ、でも中断した時に昔の試合を流すのはとてもいい暇つぶしなんだけどね。「マッケンロー対ボルグ」とか、「グラフ対ノボトナ」、「イバニセビッチ対ラフター」など、最近テニスが好きになった人にもおすすめだ。「伊達対グラフ」の日没中断までを見たら、なんてすごい試合なんだろうと再評価されるに違いない。(アーカイブなどと一様に扱って欲しくはないが)見る者に感動を与える当時の名勝負の数々は、何年経っても輝きを失う事はないのだ。
2012年06月18日
カウンターテニス攻略法
カウンターテニスについてちょっと前に書いたが、その補足説明をしたいので再度取り上げた。このスタイルのテニスに勝つには次の3つの事項の理解が必要である。1、相手のミスを増やして勝つ事を目的にした、とてもネガティブで特殊なテニスである。2、自分の凡ミスをなるべく避ける。3、カウンターテニスをするプレイヤーのミスを増やすのが1番効果的な対処法である。(補足したいのは以下のとおり。)
まず1だが、サンチェスやヒューイットが4大大会で優勝できたのは、このテニススタイルをやる選手が他にいなかったからだ。つまりこのやり方に引っかかる(対処できずに負ける)選手がたくさんいた、という事実だ。テクニックで上回る選手でも、このスタイルの仕組みが分からないと勝てない。現にフェデラーも2003年まではヒューイットになかなか勝てなかった。知らないという事はとても恐いのだ。
2は非常に重要だ。何故なら、このスタイルをするプレイヤーを倒すのに必須の条件だからで、もしアンフォースドエラーの数がカウンタープレイヤーより多い状況ではまず勝てない。しかし、それを意識して対戦する選手はそう多くはなかった。2005年の全豪で決勝に進んだヒューイットに対してそれが出来たのは、ファン・イグナシオ・チェラぐらいで、翌年の全豪でヒューイットに勝ったのがその証拠だと言えるだろう。
最後の3は実例を挙げよう。昨年のウインブルドン男子決勝で(というか、シーズンを通じて)ジョコビッチがナダルに勝てたのは、ナダルがミスしやすいパターンをジョコビッチが巧みについたからだ。ミスをなるべくしないように意識しているカウンタープレイヤーには、そのミスをさせるのが1番いい対策なのだ。(ナダルのテニスが一見カウンターテニスに見えないのは、切り返しや攻撃のバリエーションが豊富、かつボールのスピードがあるせいで、それが1種のカムフラージュになっているからだろう。)ナダルのミスが多いのが、片手打ちのフォアハンドから両手打ちのバックハンドに切り替えるタイミングの際(またはその逆)のショットだと気付いたジョコビッチが執拗にナダルのバックサイド、次にフォアサイド、またバックサイドと配球しているのがわかる。そしてウィナーショットも低くもなければ浮いた球でもない、なんとも中途半端な高さのボールがナダルがミスしやすいと判って打っているのだ。もちろん、凡ミスをしない事や、サーブ等でシンプルにポイントを取るのもちゃんとやっていた。ここからは余談だが、ナダルはテンポの早いラリーが苦手だと思う。フェデラーに唯一負けるのが、インドア・カーペットの大会だからで、案外クルム伊達の使うライジング・ショットが有効かも知れない。
ナダルのテニスがカウンターテニスだと思っているのは私一人なので、仮説の1つにしておく。信じる、信じないは貴方次第だ。ただ、フェデラーはその事に気付いているのだろうか?
2012年06月16日
プロとしての負け方
今年の全仏男子決勝は、ジョコビッチにとってさぞかし屈辱的だったに違いない。ほぼワンサイドで負けたのだから。3セット目は巻き返したように見えたが、あれはナダルがペースを落としたからで、5セットマッチにはよくある事だ。それまでのジョコビッチがとても苦労していたポイントやゲームが、あっさり取れるようになったのはおかしな感じがしただろう。大事な勝負所は絶対に取りにいくナダルでも、そうでないセットではメリハリをつけて無理はしない。2004年の決勝でストレート勝ちを狙ったコリアが、その肝心な3セット目を取り損ねたおかげでガウディオに負けた典型的な例もある。ましてや相手が、グランドスラム大会で3タテをくらっているジョコビッチならば当然で、リスクを避けた上での完璧な優勝だといえる。そういえば、2008年のウインブルドンで初優勝した時も同じような展開だった。ファンも関係者も名勝負と絶賛した試合だが、その時はそう思わなかった。確かに2セットダウンからのフェデラーの頑張りはとても感動的なプロセスだったが、それは将棋でよく言われる「形づくり」(プロ棋士が敗戦濃厚な対局を接戦にまでもってゆくこと。たまに逆転する場合もある)にも見えた。その年のモンテカルロ、ハンブルグ、全仏と短期間にナダルに3連敗したフェデラーの汚名挽回の成せる技か、あるいは自分のブレイクのきっかけとなった(2003年初優勝)ウインブルドンへの思いの強さがそうさせたのかも知れない。だが、タイブレークのないファイナルセットに入った時点で、ナダルのゲームをブレイク出来ないフェデラーに勝ち目はない。表彰式のインタビューで「やれる事は全てやった。」とフェデラーが言ったのは、ある程度負けを覚悟して臨んだ試合だったからだろう。
負けるのは誰だって辛い。4大大会ならなおさらだ。しかし、それでもベストを尽くしたフェデラーの「プロとしての姿勢」が私たちを感動させたと今では思っている。
2012年06月14日
スポーツ観を決めるもの
全仏が終了し、話題がウインブルドンへと移行する今頃がこの国での一番のテニスシーズンだろう。グランドスラム大会が短い間隔で2つあるのが何よりうれしい。たとえ深夜の録画中継でも誰もが見られるのが大事で、できればテニスに興味がない人にも見て欲しい。「キング・オブ・スポーツ」と呼ばれたのは遥か昔だが、その面白さは健在だ。別にプレイしなくてもいい。好きなスポーツがたくさんある方が人生が楽しくなるのだから。
さて今回は、その「好きなスポーツはどのように決まるか」を書く。「日本人は野球好き」みたいな言われ方をするが、本当だろうか。世界的に見ても真面目にやっている国の方が珍しいこの球技が、まがりなりにもトップ扱いなのは、人気があるからというより、「タダのテレビでたくさん見られるから」が理由だと思う。シーズン中はどこかしらのチャンネルでやっているし、春と夏には高校野球というのもある。なぜこんなに野球ばかりかと言うと、日本のテレビにとって「日本人が活躍できるスポーツ=良いスポーツ」で、「日本人が活躍できないスポーツは対象外」だから、に他ならない。要するに自分達にとって都合のいいスポーツしか取り上げないのだ。日本人が活躍できるか否かという狭い尺度でしかスポーツを判断せず、それに基づく優先順位を付けたがる。正に彼らの利益に見合った価値観の押し付けで、そのことが日本人のスポーツ観をつまらなくしている。
テニスやバドミントンはタダのテレビで取り上げられる頻度が極端に少なく、放送自体も録画が多い。(そういった球技は主にペイチャンネルでやっているが、いわゆるタダのテレビからの締め出しである)予めひどい格差をつけておきながら、人気もなにもないだろう。いっその事、野球はCSだけでやればいい。本当に人気があるかどうかはすぐに分かる。日本人の活躍はもちろんうれしいが、それがないから切り捨てるのは大きな間違いだ。特定のスポーツばかりではいいかげん飽きるし、好きなスポーツを何も一つに決める必要など始めからない。
日本のケータイがガラパゴスなのは仕方ないが、スポーツだけは願い下げだ。
2012年06月13日
どこへいったマルチ放送
地デジになってもうすぐ1年になろうというのに、民放キー局は未だにマルチ放送をする気配もない。あれほど「こんなに便利な機能がありますよ。」と言っていたのにいったいどういう事だろう。
先日まで放送されていた「バレーボール世界最終予選」がライブだったのは、テレビ側が試合開始時刻を遅らせたからに違いない。理由は簡単、マルチ放送をしたくないからだ。いつもどおりの18時30分に試合が始まり、仮にマルチ放送をしたとすると、メインチャンネルのニュースが一斉にサブチャンネルのバレー中継に切り替えられてしまう。同じチャンネルを見ているのは変わらないのだが、どうもそれでは具合が悪いらしい。しかし、見たい番組を選ぶ権利は視聴者の方にあり、局の都合で開始時刻を変えられたバレーボールの協会側も困惑しているのではないか。
いつまで経っても、アナログ時代に身についた古臭いやり方を押し通そうとするキー局にはうんざりさせられる。やれCMが問題だ、などともっともらしい言い訳をいつも持ち出すが、本音は面倒くさいだけだろう。録画なら勝手に編集して1時間半で終わるゴルフ中継も、ライブとなれば最低でも2時間半はかかる。もしプレーオフになれば3時間オーバーも十分有り得るだけに、「同じ給料じゃやってられません。」と言われそうだ。だが、それでは巨額の費用をかけてデジタル化した意味がない。正に「宝の持ち腐れ」とはこの事で、画がハイビジョンになっても録画のスポーツ中継が面白くないのは変わらない。いいかげん先延ばしはやめることだ。
新しい事を始める時は恐怖と痛みが伴う。ただ、それも最初のうちだけで、慣れれば「どうしてもっと早くやらなかったのか。」と思うようになる。自分たちが最低限出来ることさえやろうともしない、この国の民放キー局の編成担当者は「正真正銘のぐーたらチキン」ばかりだ。
2012年06月12日
カウンターテニスの真実
私が俗に「カウンターテニス」と呼ばれる、ある意味特殊なテニススタイルを意識し始めたのは94年頃だった。その年の全仏で優勝し、翌年にはナンバー1にもなったスペインのアランチャ・サンチェス・ビカリオがやっていたのがカウンターテニスだったのである。あまりテクニックに長けた選手ではなかった彼女が、攻撃力ではるかに勝るグラフやピアースに勝てるのが不思議だった。そこで何度も試合を見ていくうちに気づいたのは、非常に巧妙かつ(言い方が悪いが)ネガティブなテニスだという事だ。
まず共通する特徴がいくつかある。1、コートカバーリングが広い。(ボールを切り返す技にかけては名人級)2、アグレッシブさを前面に出す。3、凡ミスをしない。4、ラリーが長くなる。5、辛抱強い=タフである(自分のゲームがブレイクされそうな時は相当な時間をかける)などだ。それぞれには当然狙いがあり、1は相手にわざときわどいコースにボールを打たせてミスをさせる為で、2はその巧妙さを隠すパフォーマンス、3はプレッシャーをかける上で、必ずボールをコート内に入れるのを徹底すること、4と5は相手の体力と試合を続ける気力を効果的に奪い、かつ対戦する事に脅威を与える(倒すのが難しいと思いこませる)のを意図としている。無論、最終的に勝つことが目的なのはなんら変わらないが、なんとも姑息なテニスに思えてしょうがない。パワーとスピードが売りの男子テニスで、こんなスタイルをマネする奴はまずいないだろうと思っていたら、1人だけいた。そう皆さんご存知のレイトン・ヒューイットだ。彼があの「カモーーン」をやるのは相手を挑発し、自分がやっているせこいテニスを悟られないためだ。それでも全米とウインブルドンに優勝したのだから、評価するべきだろう。
このプレイスタイルが個人的に気に入らないのは、テニス特有の爽快感が無いせいだ。対戦相手がこれをやられるとイライラするのが手に取るようにわかる。ナダル自身がカウンターテニスをやっている意識は全くないだろうが、特徴は一致している。いつも全仏で対戦し敗れたフェデラーが疲れ果てた顔をしていたのが印象的だった。
相手に常にプレッシャーをかけてナーバスにさせ、ミスを引き出しやすくするのがカウンターテニスの真の狙いだから、これにのってはいけない。なるべく長い打ち合いをさけ、サーブやリターン、アングルでシンプルにポイントを取る事だ。以前ジャパンオープンで優勝したイリ・ノバックが初めてヒューイットに勝った時、素晴らしいテニスをしていた。極力凡ミスを避け、手数を掛けずにリターンを確実にオープンコートに決める。要は自分のミスをケアしながら、堅実にプレーするのを意識したのだ。途中、スタジアムの雨漏りで中断した影響もあったが、試合後半ヒューイットはいつもはしないはずの凡ミスを連発し自滅した。カウンターにはカウンターで切り返すのが一番の攻略法だと自分では思っているのだが。
2012年06月12日
ミスマッチと名勝負
全仏がようやく終わった。残念ながら男子決勝はこれといった見所もない凡戦だった。試合を見る限りではジョコビッチにはナダル攻略の手立ては何も無かったと思う。昨年あれだけ勝っていた相手に負けるべくして負けたのが本当に不思議。まるで一昨年の状態に戻ってしまったようだ。これで今のナダルに敵はいなくなった。この状態が長く続くとナダルのファン以外には「男子テニスがつまらなくなった。」と言われかねない。時にはサンプラスの様な勝負強いチャンピオンが必要だが、勝敗の行方が混沌として分からないほうが見ている分には楽しいのだ。王者ナダルを脅かす新しいスターの出現に期待したい。
さて今年の全仏で(個人的に)一番記憶に残った試合は、女子の「アザレンカ対シブルコワ」戦だろう。ナンバー1にアップセットするにはこうやるんだ、とこちらに訴えかけてくるような闘志あふれる、それでいて非常に冷静なプレーぶりに心底感動させられた。以前の悔しい敗戦を上手にフィードバックして勝利を掴んだシブルコワに、テニスを通じて「人としてのあるべき姿勢」を見た気がする。当たり前だが、やはりテニスは勝ち負けだけでは終わらない素晴らしいスポーツなのだ。
ただ、全仏で困るのはいまだにセンターコートに屋根がないせいで、昔ながらの「雨による中断」が入る事だ。億単位の人がテレビを見ているのだから、5年先なんて言ってないですぐに工事を始めたらいいのに。
2012年06月10日
ファイナル・ディスティネーション
シャラポワが初優勝した。ある程度予想はしていたが、ここぞという勝負所のポイントを時間がかかっても取りきる事に徹したのが勝因だろう。試合に負けたエラーニの涙を見ると、やはり全仏のタイトルはどのプレイヤーにとっても特別な思い入れがあるようだ。トロフィーのプレゼンターだったセレシュやちょこっと顔が映ったサンチェスやクエルテン、ほかの試合を観戦していたピアース、レンドルもみんな歴代の優勝者だが、もし決勝で負けていたらこの場所には来ていないのかもしれない。ああ、解説者のマッケンローは別だけど。
一方の男子はナダルとジョコビッチのここ4回連続の同一カードになったが、グランドスラム決勝ではこういった例が非常に多い。80年代から90年代にかけて、ウインブルドンではベッカーとエドバーグの3年連続の対戦や、それこそファイナル常連のグラフはライバル視されたセレシュやサンチェスと何度も名勝負を繰り広げた。まあ大抵はランキング1位と2位の本命対決なので、試合内容は保障されたようなものだが、セレナとビーナスの姉妹対決は(勝ち負けは)「どっちでもいいや」感があって全然盛り上がらなかったし、エナンとクリスタースのベルギー対決も先輩相手のクリスタースがとてもやりずらそうだったのを憶えている。
さてその決勝の行方だが、最初の2セットで決まるといってよい。ジョコビッチがこれを取れるかどうかにかかっている。それができない為にフェデラーはナダルに負け続けているのだから。ただ、テレビのインタビューに答えるジョコビッチには何か余裕が感じられた。ローランギャロスではほぼ無敵のクレーキング相手に、生涯グランドスラムのかかった大一番に用意したとっておきの秘策があるのか、今から試合が楽しみだ。
2012年06月09日
デイズ・オブ・ヘブン
サッカーの日本代表がヨルダン相手に6-0で大勝した同じ夜にユーロ2012が開幕した。やはり国別対抗の大きな大会の雰囲気は最高だ。試合数は少ないが地上波の放送もあるので、サッカーファンでなくとも見られるのがいい。それもタダでライブなのだ。今のテニスに欠けてしまった情報の「同時性」や「共有感」が確かにあるのがうらやましい。
さて今回はその「メジャー大会の魅力とは」だ。テニスやゴルフの4大大会、サッカー&ラグビーのW杯、自転車のツール・ド・フランスなどは一様に人気があるがそれはなぜだろうか。いろいろ理由は考えられるが最も有力なのは、大会期間中はほぼ毎日その競技が見られるから、だと思う。
いつもは退屈きわまりない(見る人により個人差はあるが)テレビの編成に、プロスポーツという魅力のあるソフトが入るだけでそれまでの状況が一変する。テレビにおける「日常の非日常化」ともいえよう。しかも世界トップクラスの選手がしのぎを削る大会なら誰もが見たい。どのスポーツが好きかはともかく、その期間だけはとても有意義で幸せな気分を味わえる。また予想もつかない展開の、一生記憶に残るような名勝負が見られるかも知れない。それを考えると大会日程が長い方が都合がいい気がするのだが、それもタダで見られなければ空しいだけだ。
どんなスポーツの大きな大会でも(フリーの)テレビで全く見られないのは甚だ不幸でしかない。もちろん放映権料がとても高いのは知っているが、それを見る事でたくさんの人が(一時的にでも)幸せになるなら払う価値はあるはずだ。ただテニスがそのリストに入っていないのがこの国の1番の不幸だと思う。そんな事にも気付かないほど日本人は鈍感になったのだろうか。
2012年06月07日
勝者と敗者
全仏のフィナーレがもうすぐだ。個人的にはシャラポワとジョコビッチの生涯グランドスラム達成が見たいが、どうだろうか。あのサンプラスやヒンギスでさえ叶わなかった夢をぜひ実現してほしい。
今回は「タイトル獲得」について書く。プロの選手にとってはとても重要なテーマで、ある意味アイデンティティといってもよい。これがないと評価もされなければ、収入も増えない。人気とか、スポンサーやCM契約にも関わってくるので、どの選手も必死でクリアしようとする。特に4大大会ともなればなおさらだろう。ただ知ってのとおり、フェデラーやナダルの様にグランドスラムのタイトルに手が届くのはレアケースであり、多くの選手にとってはあくまでも目標の1つでしかない。仮に運よく決勝までたどり着いても、そこで勝つと負けるでは全く意味が違う。その昔、アバが「ウィナー・テイクス・イット・オール」と歌っていたがまさにそのとおりで、勝てば全てが報われるが負ければ一生「ルーザー」呼ばわりされるのだ。それも1回ぐらいならまだいいが、何度も決勝に出ているスタープレイヤーでも負けが続くと相当に応えるらしい。99年の全仏決勝でグラフに負けて以来ヒンギスは4大大会で勝てなくなり、続く2000年の全豪決勝ではダベンポート、翌2001年と2002年の全豪決勝でもカプリアティに2年連続で負けた。この時に受けた精神的大ダメージのおかげでテニスをやめたのだと今でも思っている。
よく初優勝者が「人生が変わった」などと表現するが、あながち間違ってはいない。メジャータイトルは取れる時に獲った方がいいぞ、ウォズニアッキさん。
2012年06月06日
繰り返される過ち
今回はテニス以外のスポーツについて書く。
以前にこんなマヌケなゴルフ中継を見た。選手がコース内を歩いているのにドライバーショットの音がする。日本人選手がインタビューに答えているのにウオーと大歓声があがる。マスターズの中継を副音声で聞いていたのだが、映像と音声がずれているのがハッキリ分かるのに最後までそのままだった。その事を後で指摘すると翌年から副音声は無くなっていた。もう1つマスターズがらみで、予選ラウンドで雨が降ると最終日は1時間繰り上げてラウンドがスタートするのに、TBSはいつまでたっても例年どおりの時間に録画放送するのだ。フロント9からの放送が始まった2002年、2004年、2006年も同じだった。もう次の年からはバカバカしいので見るのをやめた。
どうやら日本人はスポーツ中継が下手らしい。いつもそんな場面を見てしまうのは、地上波=ベイシックなテレビ(どんなひとでも楽しめるように配慮する。)が誤解されてしまったからだと気づいた。1番目立つのがリプレイ、ハイライトの繰り返しで、たかが2時間のゴルフ中継内でうんざりするほどある。フィギュアスケートのショートプログラムや(スポーツとは全く関係ないが)映画のCM明けにも頻繁に見られるが、途中から見始めたひとに配慮する必要はないだろう。地上波のスポーツ中継がダメダメなのは一様にビギナーにもわかるようにするからで、これをやめればいいのだがなかなかそうはいかない。しかしこれではまともなスポーツ中継など期待する方がバカらしい。スポーツ中継を見ればその国のテレビのレベルが判ると言ったら言い過ぎだろうか。
2012年06月05日
ある国の奇病
アジア極東の小さな国で奇病が流行っている。その患者が増えるのが決まって1月の中旬と、5月、6月、8月の下旬に集中するそうだ。最初はうつの症状と似ており、やる気が出ないなど無力感を訴えるが、2、3日すると神経質になり「だからこの国は遅れているんだ。」とか「俺の見たいのはこんなマイナー球技じゃねえ。」などと言って怒りやすくなる。別に死ぬようなひどい病気ではないのだが、患者にとっては発病してから2週間ぐらいはひどく気がめいるという。
どうも原因はその国であるスポーツがテレビで見られない事にあるらしい。で、比較的症状の軽い者はそのスポーツの中継を見せると症状が落ち着くが、録画では効果が無くライブでないとダメなのは共通している。ただ重症の患者は外国の頭文字がEで始まる局の中継しか受けつけず、「NBCはセミファイナルが録画なんだよな。」などと悪態をついたりで対応が難しい面も度々あるようだ。
ある重症患者がこんな事を言っていた。「この国のスポーツ中継は全然つまらねえ。どいつもこいつも勝ち負けばかり気にして肝心の「スポーツの面白さ」を伝えるのを忘れていやがる。だからいつまで経っても決まりきったスポーツばかり取り上げて、こんなに面白いスポーツが見られねえのさ。」
不思議な事にアメリカやヨーロッパからはこの奇病の患者の報告例が未だ1件もないという。
2012年06月03日
マジョリティとマイノリティの憂鬱
全仏も半分が過ぎた。試合数もぐっと減りいよいよ優勝争いが気になるところだが、この国のテレビやマスコミの主な関心事はサッカーの最終予選とその後のユーロ2012だろう。フランスのようにスポーツ新聞にでかでかとテニスの記事が載ることもなく、ただ何事も無かった様にその日の試合結果がほんの小さく扱われているのはなんとも寂しい。地域差といえばそれまでなのだが、そんなにもテニスというスポーツは日本人にとって興味のないものなのだろうか。
そういった状況を作り出したのはテレビだと個人的には思っている。テレビが大々的に取り上げればメジャースポーツで、そうでなければマイナースポーツという肩書きがいやでもできる。しかし、オリンピックの正式種目から外され、世界中でプロリーグがあるのがわずか8カ国の野球が果たしてメジャーな球技だろうか。少なくとも見るだけのスポーツには、日本人が得意かどうかは関係ないと思いたいが、放映権料と時間枠の心配と、日本人の活躍にしか興味を示さなくなった日本のテレビに欧米並みのテニス中継はあまり期待できない。
と、なるとテニスファンにとっての賢明な選択は(それ自体のいい悪いは別にすると)パソコンでライブストリーミング中継を見るぐらいしか無さそうだ。